物置に、折り畳み式の木のテーブルが置いてあったので、それを広げて水浴び場と文鳥のエサの残りをばら撒いてみる。すると、毎朝雀が遊びに来るようになった。最初は、俺の姿を見るだけで逃げていた雀たちだったが、最近は心を許し始めたのか俺を見かけても距離を開けるだけに留まっている。様子を伺う程度の距離だ。早朝から朝、昼頃に雀たちはやってくる。2~6羽の団体でウロウロ。その内の2羽は常連で(見分けは全くつかないが…)俺や嫁の姿を見ても気にせずもくもくエサを食べている。ギャンギャンと大声で無く雀の赤ちゃんもお母さんと一緒にやってくる。赤ちゃんは丸太の上で待ち、母親がエサを咥えて赤ちゃんに口移しする。その映像は、腐りきった俺の心を優しく浄化してくれる。俺は9時ごろに餌を散らばせるんだが、雀たちは4時位から大騒ぎしている。まさに朝チュンである。エサを撒き終えて1時間もすればエサは1粒残らず無くなっている。この野性的な生存本能に燃える野鳥の姿を、家のグウタラ文鳥どもに見せてやりたい。生きるとはこういうことだと…。この甘えん坊文鳥共ときたら、人間から極上なエサと綺麗なお水を頂き、何不自由ない生活をエンジョイしている。全くもって甘ったれだ。しかし、飼い主である俺も社会と言う名の戦国時代を20代後半にして逃走し、自堕落な日々をヘラヘラしているわけだから頭ごなしに文鳥達にあーだこーだ言える立場でないことも確かだ。出掛けて家に帰る途中など、電柱で雀が見張っており、俺たちの姿を見るなり先に家へ戻り、チュンチュンと騒ぐ始末だ。そのうち、硬貨とか札の一枚でも持って来てくれないだろうか。そんな話をブラックジャックで読んだ気がする。確か病気の少年だかの元に小鳥が効果を持ってくる。期待してますよ。
夕方から飲み始めているので、コップに乗せた箸がユラユラと上下に動いている幻覚を見た。んー、確かに箸は動いていない。今日は家の中で只管作業をした。俺は竹を切ったりなんだりの野外活動は、基本的に11時から15時の間にやりたい。嫁は16時以降。シフトが違うので一緒にやる事はあんまりない。嫁は涼しい時間帯にやりたいらしいが、俺は熱い炎天下の下で汗を掻きながら、太陽の光を浴びながらやりたいのが正直な感想だ。お年寄りなら子供に注意されること間違いないだろう。しかし、持続力が極端に欠乏している俺は2時間で疲れ、もう1時間で飽きてくる。飽きたら止める。ヤル気がある時はいつまでもやっているが、ヤル気が無くなると違う事で頭がいっぱいになってしまう。ちなみに今日もやらない。お家の作業が大変に多い。