「アレハンドロ・ホドロフスキー DVD-BOX」を購入した際に、現在のホドロフスキー監督を始めてみたが、物凄くエネルギッシュな感じがし、笑顔が素敵で年齢以上に若く感じた。映画監督だけでなく漫画家、セラピスト、タロット研究家などのマルチな活躍をしているが、88歳の今でも衰えた様子が微塵もない。明るく陽気な雰囲気のホドロフスキー監督から「エル・トポ」「ホーリー・マウンテン」の様なカルトムービーが生まれるというのが不思議でならなかった。しかし「リアリティのダンス」を鑑賞することでアレハンドロ・ホドロフスキーという人間がどう産まれたのかが少しわかったような気がした。
「リアリティのダンス」は、映画と言うよりも限りなくドキュメンタリーに近い。1920年代、幼少のアレハンドロ・ホドロフスキーが見た当時の世界情勢が中心になっており、その世界で行われる理不尽な扱い、スターリンやヒットラーのような権威的で暴力的な共産主義者の父親、アレハンドロを自身の父の生まれ変わりと信じる母親(いつもオーケストラのようにしゃべるw)、片腕を失った男たちは車に乗せられゴミとして処分される。幼いながらにホドロフスキー監督は、どこか冷めた目で世間を見ていたのかもしれない。ホドロフスキーの父親のリンチシーン、母親が父親に聖水(オシ●コ)をぶっかけるシーン、麻酔なしで抜歯するホドロフスキーなど相変わらず過激なシーンはそれなりにあるので閲覧には注意して欲しい。ホドロフスキー監督は、ディズニーが嫌いらしいが幼い頃にピノキオといじめられたからなんじゃないだろうか。
ホドロフスキー監督の映画を見ていると寺山修司がどれだけ影響を受けたのかが分かる。もっと資金があって、手足が不自由な人を集められたら寺山修司も同じくらい過激な映画を作ったに違いない。ホドロフスキー監督と寺山修司を比べるとどうしても資金面を感じざるを得ない。「リアリティのダンス」の続編である『poesia sin fin(エンドレス・ポエトリー)』が今年の11月に日本でも公開されるらしいが、田舎住まいの俺が見れるのはDVDが発売されてからだろうからしばらく先になりそうだ。