気味が悪いだろう、俺の髪の毛である。一番安い方法は、100均でヘアカット用のハサミを購入して自分でカッティングする。これに限る。片方が普通のハサミで、もう片方がジグザグになっている物を購入して、自分で切ってみる。鏡も何も見ず、勘だけでチョキチョキと切ってみる。伸びやすいてっぺんは容赦なく切り、前髪や横も短めに切る。後ろは少し伸ばしたいので、なんとなく整えてみた。ワックスで固めてしまえば何でもOKだろうから、特に気にすることなくどんどん切った。今は、巨大な野菜洗い用の桶を風呂代わりにしているので、この桶に入りながら髪を切ってみた。髪を流すのが凄く大変だったが、金も時間もかからず最高だった。
小中学校の頃は髪型なんてどうでもよかったが、高校時代になると妙に色気ずいてくる。金も少しあるもんだから、金を使って天然パーマに縮毛矯正を充ててサラサラヘアーにしていた。人間は自分にないものを欲しがる。天パーの人間はサラサラストレートに憧れ、サラサラヘアーはパーマを充てていた。俺は、天パーだったし、V系にも憧れていたので縮毛矯正でサラサラヘアーを手に入れた時は歓喜した。高校~大学の間は一万円を支払ってストレートにしていた。縮毛するたびにオヤジは「金がもったいない」「馬鹿だ」と罵ってきた。
大学時代に、リサイクルショップでバイトをしていた時は髪型は真っ赤だった。金髪はダメと言われていたが、赤髪は良いとされた。完全に自己満足の世界だったが、俺は妃阿甦(The piass)の気分で大喜びだった。しかし、赤髪は保つのが大変で髪を洗うと血の雨が降る。色がすぐに落ちるので出来るだけ頭を洗う回数を減らしていた。せっかく真っ赤に染めたのに、写真を残していないのが悔やまれる。就職が決まり、卒業式までの間に再び髪を染める。たった1週間の短期間のみの髪染めだった。まず縮毛をかけて、髪を真っ赤にし、揉み上げは青色に染める。嫁(当時は彼女)は、「う●こみたいな髪型だ」と俺を罵倒した。バカな髪型をした俺に、呆れたオヤジは卒業式に来なかった。
社会人になってからは、髪は染めないでいた。最初に就職した古本屋では、髪を縮毛しただけなのに店長に「髪を染めている」といちゃもんを付けられた。何度も違うと言ったが信頼関係は破綻していた。染めたり、縮毛したりしていたので、社会人らしい髪型がわからなくなった俺は、1,000円カットで注文無しで切ってもらう。自分では結構気に入っていたが、嫁の感想は「ドングリ」だった。1,000円払ってドングリはあんまりなので、嫁が行きつけの美容室で毎回切ってもらうことにした。可もなく不可もない髪型にしてくれるので2年くらいはそこに通った。そこで教えてもらったミニーレウイウイデザインジャム10をドンキで購入し、オールバックが俺のトレードマークとなった。櫛を使った隙間ないオールバックに眼鏡をかけるので、その姿は完全に堅気ではなかった。俺が、オールバックを注文する時は「闇金で」と言えば通じていた。
一度ケチって嫁に切ってもらったこともあった。真っ正面から見るとなかなかに上出来なのだが、後ろが滅茶苦茶らしく職場で突っ込まれまくった。その時は、障害者の就労支援員だったのだが、利用者の一人に「虎刈りになってますよ」と突っ込まれ、他の職員には「誰かにやられたのか?」と言われる。その後、美容室で整えてもらったが、それ以降、嫁には切ってもらっていない。