志の輔らくご in 気仙沼
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誰が言っていたのか忘れたが、本当に凄いモノは説明が出来ないらしい。なので知らない人、見ていない人に「どうだった?」と聞かれても、その面白さや凄さを説明することが出来ない。なぜなら全てが凄すぎて何もかもが面白いからだ。「どうだった?」と聞かれた時に声を振り絞って出す答えは「見ればわかる」というわけだ。

立川志の輔の落語は、まさにそれで説明のしようがない。喋りのプロに対して非常に失礼な話ではあるけど「喋るの美味いなぁ」と心の底から思った。人を引き込む喋り方や間の取り方、声質、タイミング、全てが計算されている。早口で一見聞き取りずらそうなのに聞き取りやすい。そして、万人にウケるネタ作りをしているので、老若男女全ての人が笑える。日常的な世界観とワードが次々出てきて、なるほどなぁ~と感心しながらほくそ笑んでしまう。

落語に出てくる登場人物のキャラクターも面白いし、義理人情の落語が感動的だ。現代社会にはない味わいがある。落語がもっと社会に根づいていれば、ひょっとしたら感動して泣いてしまうかも知れない。そういう感動に何故結びつかないのかと言えば、俺の考えだと落語自体が昔話になってしまっているからだ。感情移入の出来ない空想上のお話でしかないので、いまいち自分に置き換えられない。桃太郎や浦島太郎のようだ。他人を思いやる気持ち、義理や人情を重んじるような日本人は少ない。今だからこそ落語がきっと必要なんだと思う。

それにしても、起承転結のオチが本当に鮮やかで美しい。途中から何の話をしていたのかわからなくなるほど話が脱線するんだけど、最終的には伏線を全て回収して元の話に着地する辺りが、本当にプロフェッショナルだなぁとしみじみ思う。常に面白い事に対する貪欲さが、ネタに繋がっていくんだろう。糸井重里との対談で、気仙沼市長と3人で話をした時に、船のイベントがあると聞いていたらしい。2人でいながらどんなイベントなのかさっぱり聞いていなかった…そんな(笑)話をしていたが、この点が志の輔と糸井重里の凄さなんだと感じだ。要は、自分の仕事に必要、もしくは興味の有無でこの人達は話を聞くんだと思う。自分にとって必要となる情報以外は、恐らく必要ないとして聞かないんではないかと思った。うーん、もしかしたらモノ作りする人には、この精神が必要不可欠なのかもしれない。あとは貧乏はやっぱり面白いってとこだな(笑)

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