難解すぎた傑作、早すぎた名作
製作を宮崎駿と大塚康雄のコンビが手掛け、演出は高畑勲が担当。完成までに3年の歳月を要したという劇場用アニメーション。ジブリ発足前の作品で、非常に貴重な作品だ。物凄い大金で作成したアニメだったらしいが、超絶駄々滑りのアニメだったららしい。やっぱり鈴木敏夫は重要なプロデューサーなんだなぁ。東映まんがパレードで放映し、同時上映は魔法使いサリー、ゲゲゲの鬼太郎…強すぎるだろ…。しかも、この頃のアニメーションは『アニメ=子供が見るもの』という認識だったはずだ。それでも、かなり子供向けに作成したようだが、鬼太郎やサリーちゃんを見る年齢層の子供向きとしては難解な気がする。
滑らかに動くアニメーションに驚愕する
さて問題の中身だが、個人的には最高と言わざるを得ない。今まで見てきたジブリ作品をメドレーにしたような…。この作品で出来なかった事をのちのジブリで全てやっていったような気がした。あと、宮崎駿も高畑勲もディズニーのアニメーション演出を高く評価していて、それに対抗するようなシーンも沢山あった。ミュージカル風に村人が踊りながら歌うシーン、滑らかに動きながらちょっとしたおふざけを入れるあたりも日本アニメっぽくないコメディ要素を感じた。
まず、開始数秒のホルスがオオカミの集団に追いかけられるシーンに目を奪われる。ホルスとオオカミが、走り回り、戦うシーンなんだが、とにかく動きが凄い。オオカミのスピード、飛び掛かる動き、それを懸命に避けながらも応戦するホルス。当時のアニメ技術では考えられないスピードと動きの滑らかと柔らかさが凄い。
ただ、似たようなシーンは枚数を削減したかったようで、静止画になっていた(笑)悪魔の手先が飛んでくるシーンと大量のネズミが村を襲撃するシーンは、数枚の静止画に声と効果音を入れて誤魔化していた。あれはあれでいい味が出てるんだろうけど、宮崎駿や高畑勲は多分全部書きたかったと思う(笑)
ヒロインのヒルダがメチャクチャカワ(・∀・)イイ!!
主人公はもちろんホルスで、活躍するのもホルスなんだが、途中から出てくるヒロインのヒルダがとてつもなくカワ(・∀・)イイ!!声が市原悦子さんというのが、また時代を感じさせる。俺が子供のころから市原悦子さんは、おばさん後半おばあちゃん前半くらいのポジションだったが、その市原悦子さんが若くて可愛い少女の声をやるって凄い。でも、これがすげぇ可愛いんだよなぁ~。
宮崎駿の好きなドッタンバッタンで喜怒哀楽が激しくてパンツ丸出しみたいな少女じゃないし、絵の感じも全然違うと思っていたらキャラデザインはやっぱり違かった(笑)森康二さんという有名なアニメーターの方で、小公女セーラのレイアウト監修もしている。ジブリ作品に出てくる女の子の中では、千と千尋の千尋、もののけ姫のサンが、俺の好みだったが、ヒルダもなかなかに良い。映画を見てると普通に惚れる。
良心の象徴と悪魔の象徴
ヒルダの仲間にチロ(リス)、トト(フクロウ)がいて、いつもヒルダについて回っている。チロは悪魔グルンワルド(ヒルダの兄)の手下でありながら心優しい、トトはグルンワルドに忠実。チロは良心の象徴で、トトは悪魔の心の象徴らしい。最後に自分の心に打ち勝ったヒルダは、悪魔の象徴であるトトを消し飛ばす。ちなみに『魔女の宅急便』で出てくる黒猫のジジは、キキの思春期の心の象徴みたいな感じで、途中でジジが喋らなくなるのは、キキ自身が大人になったから…ってことらしい。ここの描写ものちの魔女宅で活かされてるんだろう。
大人が感動するアニメ
やっぱり子供向けではないかもしれない。あまりにも製作者側の想いが強すぎて、子供が置いてけぼりになった可能性がある。ディズニー的な要素を入れて、盛り上がりそうな死闘を繰り広げ、子供の好きな可愛い動物を入れたはずなのに…なぜ?と思ったかもしれない。それは、プロモーションが弱かったり、内容がちょっと難しかったり、単純にネームバリューがなかったりと理由は色々とありそうだ。
ナウシカのような街並み、ラピュタのような巨人、もののけ姫のようにオオカミが突撃してくる。そして、洞穴にはかならず小汚いジジイを配置する(笑)今のジブリで表現していることが、ホルスの大冒険ではすべて詰まっている。ジブリ、宮崎駿、高畑勲ファンの方なら色々と感じることができる作品だと思う。あとグルンワルドが何か見たことあると思ったらキャラクターデザインに林静一がかかわっていることが判明。あの悪魔の格好が、『アグマと息子と食えない魂』にソックリだったから、まさかとは思ったけど、一時的なんだけど関わってたことに驚いた。